

一九九二年のアメリカの特許登録件数第一位にCが返り咲いた。
これは八七年以来五年ぶりのことである。
この間、Cは、H、T、M、E、GEなどに混じって常にトップ争いを繰り広げてきた。
その多くが日本企業であることにも驚くが、巨大企業がひしめくなかで、Cだけが企業規模からいって不釣り合いな健闘をしているのが不思議といえば不思議だった。
私は昨年、バブルジェットプリンタに関連して、はじめてCを取材した。
バブルジェットプリンタとは、ノズルを温めてなかのインクを発泡させ、瞬間的にノズルの先端からインクを吐出させるという新方式のプリンタシステムである。
取材を通して、Cについてさまざまなことを知った。
レーザーピ−ムプリンタ世界シェアの七Oパーセントを占め、累計生産台数が一二OO万台を超えていること、ゼロックスの独占に近い状況のなかで新方式の複写機をつくりあげたこと、数多くのオリジナル技術で高い利益率を確保していることなどである。
ものまねが多いといわれる日本企業のなかで、これらの独創技術をつくりあげることができたCという会社は他の日本企業とどこが違うのだろうか。
これが、私の素朴な疑問だった。
取材の結果見えてきたことは、このオリジナル技術で華々しい成果をあげているCにも失敗の歴史があったこと、その失敗こそが現在の先進技術志向の会社をつくりあげるシ−ズとなったこと、そのシ−ズをかたちにしたのが、オイルショックの後遺症、電卓の失敗による七五年(昭和五O年)の無配転落以降のリストラであったということである。
しかも、このリストラは、現在、世上を騒がせている人切り先行のリストラとは一線を画している。
七五年以降、現在まで、激しいリストラの歴史が繰り返されてきたが、一度もレイオフのようなことはしていない。
まさに無血リストラなのである。
この無血リストラと技術開発の軌跡をたどりながら、企業が新しい事業に乗り出すときに直面する問題、それを乗り越えるためになされる機構改革について、私なりに取材し、理解できたことをまとめたものである。
本書が、平成不況のなかで新たな出口を求めているビジネスマン諸氏の現状打開の一助となれば幸いである。
C取手事業所惨シンクロリーダーの生産のために1960年に三井化学から取得した敷地にある。
現在は主力工場として、複写機、レーザービームプリン夕、化成昂を生産している。
C成長の歴史はリストラの歴史であるふと思い立って「C」という会社をよくよく眺めてみると、変貌ぶりと急成長ぶりに驚かされる。
私たちがCに対して抱いていたイメージは、紛れもなくカメラメーカーとしてのそれであった。
むろん、同社が時代の流れに合わせ、カメラ以外の製品をつくるようになったことを知らないわけではなかったが、やはりCといえばカメラメーカーというイメージが強かった。
いまあらためてCならびにCグループの事業内容を見てみると、カメラ事業の占める比率は全体の一六パーセント足らず。
同社の事業の柱は現在では複写機、プリンタ、ワープロ、ファクシミリといったOA機器に完全に移っており、それ以外にも幅広く情報・通信機器や光学機器なども手がけている。
もはやCを一カメラメーカーという既存のフレームのなかに押し込めてとらえることはできない。
Cという企業グループを測るには新しいモノサシが必要なのかもしれない。
世の中はいま、まきにリストラブ−ムである。
二度のオイルショックと円高不況などをたくましく乗り切って成長を遂げてきた日本企業だが、バブル崩壊後の景気停滞、国際間の摩擦、未曾有の円高など、経営環境の悪化に直面して塗炭の苦しみを味わっている。
それまで好業績を都酌してきた優良企業も、バブル崩壊後は一転、ほとんどが大幅減益や赤字転落に追い込まれた。
そこで各企業は、こうした経営環境の悪化に対処するため、生き残りをかけて根本的な体質改善、事業構造の再構築、すなわちリストラに躍起になっているのである。
その点ではCとて例外ではない。
だが、Cの場合、昨日今日はじまったつけ焼き刃のリストラではないのだ。
C急成長の軌跡をたどるとき、その歩みはまさにリストラの歴史だったといっても過言ではない。
私は、Cという会社を単に多角化に成功した企業としてとらえるのではなく、リストラに成功した代表的なモデルケース企業と見たい。
Cの企業規模は、カメラ専業の噴とは比較にならないほど大きくなっている。
とくにオイルショック後のこのこ0年間の拡大ぶりは驚異的とさえいえる。
たとえば、第一次オイルショックの前年、一九七二年(昭和四七年)時点でのCグループ全体の売上高は六二O億円にすぎなかった。
それが二O年後の今日C本体だけで一兆円を突破し、グループ全体の連結べ−スでは二兆円になんなんとする。
なんと二0年間で三O倍以上に膨れ上がっているのだ。
めざましい躍進を誇る日本の企業群のなかでも、やはりこれは稀有のケ−スといえる。
その秘訣はいったいどこにあったのか。
つきつめて言えば、たゆまざるリストラが功を奏したのである。
もうひとつ、Cの急成長の要因として忘れてはならないのが同社の優れた技術力だ。
しかも、感心きせられるのは、開発した技術のほとんどが人まねではない、独自のオリジナル技術だということである。
ここにCという会社の大きな特徴がある。
Cが世界で、あるいは日本ではじめて開発に成功した技術や、その技術を組み込んだ商品を発売順に列記してみよう。
といった具合に実に数が多い。
これら以外にも、デジタル電子一眼レフ「All」、ォ−トフォーカス(自動焦点)カメラしたものである。
メーカーならば当然ともいえるが、いくら人と金をつぎ込んでも事業として成功するとは限らない。
その点、Cは技術の種を見出し、育て、花聞かせるのがきわめて巧みな企業といえる。
そうした企業体質はいかにして醸成されたのか。
一九八七年(昭和六二年)八月、創立五O周年を迎えたCは、第二の創業を社内外に宣言し、「グローバル企業構想」を掲げて新たなスタートを切った。
業を目指す」というのがそこで打ち出された基本方針だが、これは別名「共生の理念」と呼ばれ、その後のCグループの企業活動を貫く精神的なバックボーンになっている。
この理念を打ち出したのは当時の社長、K来龍三郎(現副会長)だったが、K来は七七年変わりさせた。
「優良企業構想」を掲げ、どちらかといえば技術優先型で商売下手のカメラメーカーを日本の代表的なエクセレントカンパニーのひとつに育て上げたのである。
その目標の実現のために全力を注いだ。
八九年(平成元年)三月、K来は社長の座を副社長のY路敬三(現副会長)に譲って会長に就任。
後を託されたY路は以後四年間、「共生の理念」に基づく具体的な実践活動にリーダーシップを発揮してきた。
九三年(平成五年)三月、Y路は副会長に就任し、新社長にはCの社長、会長を四O年の長きにわたって務め、同社の基礎を築いた故M手洗毅の長男、M手洗肇専務が就任したのである。
文字通り、Cの一一一世紀に向かっての船出と言える。
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